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<<   作成日時 : 2010/01/29 14:00   >>

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村田喜代子さんの「蕨野(わらびの)行」が発表されたのは90年代後半だったと思います。貧しさに喘ぐ農村で老いた親を捨てる話でした。姥捨て物語では50年代の「楢山節考」(深沢七郎氏)が有名ですね。「楢山」では70歳になると山奥に捨てられるのですが、「わらび野」では60歳になった老人が「野」に捨てられるのです。

50年代は神武景気から一転してなべ底不況に転落した時代です。それから半世紀近く、世界同時不況の波に呑まれて日本でも貧困と格差が広がるばかりです。それにしても捨てられる年齢が10歳も早くなるとはどうしたことでしょう。世界一、二を争う長寿国といわれているのに、いえ、だからこそということかもしれませんが。

「わらび野」のはずれに小川があり小さな丸木橋を渡ると「野」が広がっています。野の中に小さな小屋があって捨てられた老人たちはそこで共同生活をします。静かに自然死を待つだけの未来のない生活ですが、明るく屈託がありません。雪に閉ざされるまでは。

厳しい冬は小川も凍り食べ物はありません。日に日に衰えてやせ細り幻覚を覚えるようになります。嫁のお腹に戻って孫として生まれ変わると信じる老婆。霊魂はさまざまな肉体に生まれ変わって、また死に変わりして、迷いの世界を転々と巡るのだと信じています。

この結末が救いではあるのですが、しかしですね。捨てられる年齢に該当する老婆としては一言申し上げたいことがあります。今どきの60歳はまだ現役です。「野」に捨てられても鍬をふるい開墾する体力があるでしょう。そして食糧危機に陥った里に行商にでかけて、生き延びると思います。捨てられる歳は90歳くらいにしてほしかった、でないと輪廻が忙し過ぎます。

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
NAGAさん

「蕨野行」も、「楢山節考」も、姥捨て物語です。高齢となって、社会的に存在価値が無くなった人達は、無用の長物です。早く消えてなくならないと、後の者達の邪魔になります。介護施設は、現代の「姥捨て山」だと思います。そんな所に莫大なお金を掛ける必要は、ないのでしょう。男性は80歳まで生きたら、もう充分。女性も85歳くらいで死んで欲しい。苦しまず、安らかに、来世を信じて。そんな上手い具合に行きますかねえ。
shuttle
2010/01/29 19:13
> 輪廻が忙し過ぎます。
「お忙しいですか」という挨拶言葉に巧い返事が見つからなかった時分を思い出しました。
近頃時間の感覚がずっこけてきて、先刻「あれ、もう2時半か」と思って、しばらく経ってからもう一度時計を見たら12時40分でした。
どうなってるんでしょう。
あわぞう
2010/01/30 14:31
shuttleさん。死んでしまうと何もかもなくなるということが信じられない気持ちになることがあります。肉体の喪失は納得できるのですが、こうしてあれこれ考えている自分が認識できなくなるというのが不思議なのです。脳が細胞の一部である限り肉体が滅びれば考える力がなくなるとは当然なのですが。
小さな小鳥にも掌に納まるほどの魂があって、お互いの死後、この世界ではないどこかで出会えるのではないかと思いたいのですが、それはそれで永遠に死なないということですから困るんですよね。
NAGA
2010/01/31 14:00
あわぞうさん。我が家の玄関には鏡がかけてありますが、正面に丸い時計があって、これが災いの元です。鏡に時計が写るのですが鏡は鏡、5分前が5分過ぎ、40分が20分になるんですね。で、鏡越しにご覧になって、10時半を2時半と思われたのではないかと想像しました。それともデジタル時計で「1」が見えなかったとか?
NAGA
2010/01/31 14:16

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