そちらさま・こちらさま

アクセスカウンタ

zoom RSS デモ行進

<<   作成日時 : 2011/07/25 14:09   >>

トラックバック 0 / コメント 4

「浜岡原発の永久停止・廃炉を求める静岡県大集会」は23日の土曜日「静岡市駿府公園」で開かれ、夫が参加しました。よびかけ人には弁護士、大学教授、医師などが名を連ね、運営は労働組合評議会となっています。つまり早い話が革新政党の集会なのでした。

「静岡県民なら行くべきである」として8時に出発。集会は11時からですから大型バスで向かいました。主催者発表で5000人、これはかなりサバを読む傾向がありますから、3000人というところでしょうかね。3班に分かれて市内を行進したもようです。

昭和40年代にはまだ労働組合の活動が盛んで、ベア(ベースアップ)闘争では工場閉鎖や自宅待機、デモ行進などが見られました。鉢巻をした労働者が赤旗の翻る門の前で並んでいたり、小規模なデモ隊もあちこちで見られたものです。社会党が弱体化しついには消滅してしまうなど考えもつきませんでした。

当時労働組合の役員をしていて、その関係でのつきあいでしたけど、いざというその時は、やはり立ち上がらなくてはいけません。明るい未来のために「がんばろう!」無精者の私は見ているだけですが。

テーマ

関連テーマ 一覧


月別リンク

コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
NAGAさん

デモ行進は、1回だけしました。日教組の集会のあと、名古屋市の中心部を気勢を挙げながら、歩きました。何でも、「アメリカとの条約改正」反対だったような。当時の社会党は、今何処?民主党に埋もれて見る影なし。以後も、洗脳されたように、ストに突入したりして、受けた処分は、2,3回。当時の情熱が、懐かしいですが、今では、夢か幻かです。
shuttle
2011/07/25 18:14
ド田舎に住まうと、何もかもが平和です。
マスコミが報じない限り、ナ〜ンも都会の情報は入ってきません。
その意味では、若かりし頃ゲバ棒とヘルメットで機動隊と渡り合った事は正解かも知れません。
アタシは終始一貫して反対でしたが、「衆目を集めないと始まらない!」との、テロリストの論理に頷けます。でもね、当時は命懸けだったんですよ!
デモをしても左右から機動隊に挟まれて、蹴飛ばされるや盾で顔面を殴打されるや・・・
まあ、俺たちも石は投げたけどネ。
しかし一番やりきれない事は、現場では貧乏人の子弟同士が啀み合い血を流す。その裏ではエライ人達が高笑い。
傷つき死ぬのは常に貧乏人だけなのか?
この構図は永久に変わりません、神や仏は居ませんね〜・・・

阿Q
2011/07/26 12:20
shuttleさん。頭のテッペンだけ赤いのが日教組だといわれましたけど、そんなことはない時代があったのですね。アメリカと聞くと何から何まで反対したくなったあの頃、私も社会党支持でした。働く者の味方と信じてましたから。
NAGA
2011/07/27 14:18
阿Qさん。学生デモは切実に訴えるものがあってのことだったでしょうが、月日が過ぎて考えると「青春のはけ口」の一面があったのかもしれません。なんでもいいから何かに命を賭けたいという、それは機動隊のほうも同じだったのではないかと思います。警棒を振り上げて学生を打ち据える恍惚とした表情の警官を写真で見たことがあります。彼も学生と同じ年頃の若者でした。
NAGA
2011/07/27 14:25

コメントする help

ニックネーム
本 文
デモ行進 そちらさま・こちらさま/BIGLOBEウェブリブログ
文字サイズ:       閉じる