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<<   作成日時 : 2011/08/16 15:23   >>

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「さきの大戦」から66年、大人の苦労を横目で見ながら育ってきた
我々も高齢者と呼ばれるようになりました。

私:「防空壕」って各家にあったのかなぁ。

夫:田舎ならね。庭が広いし。

私:畑には掘らなかったの?

夫:畑じゃ遠いし土が崩れるんじゃないかな。

私:骨組みなんてあったのかしら。

夫:ウン、竹とかね。その上に布団被せるの、そんで土。

私:穴の中にいても爆弾が落ちれば終わりだね。

夫:防空壕を直撃されて全滅した家もあったよ。

私:小さかったけど自分で入った?

夫:うん、兄弟が多いからね。叩き起こされて。

私:私は自分で行った記憶ない。いつも抱かれて運ばれた。

夫:女の子だからね。大切に守られたんだよ。

私:入口に段々の踏み板があったねぇ。

夫:よくあんなものを造ったと感心したよ。

私:しばらく潰さなかったんだね。

夫:さつま芋なんか保存するのに使ってた。

私:終戦は憶えてる?

夫:全然憶えてない。本宅でラジオ聴いたのは憶えてるけど。

私:何日か後に、飛行機が飛んできて「早く防空壕に入らんと」
  って言ったら「もう戦争は終わったんだよ」と聞かされたっけね。

夫:貧しくて食べる物もなくても、子どもは育つ。

私:「産めよ増やせよ」は正しかったのかなぁ。

夫:もともとは戦力のためにいったんだろうけど、復興の力になった。
  みんな必死に働いたんだよね。

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コメント(8件)

内 容 ニックネーム/日時
こんにちは^^
私は戦後に生まれた人間ですが、
父や母からよく話を聞きました。
父は満州へ行ったのですが、到着した途端終戦。
母は千葉の海岸で太平洋に向かってなぎなたを
振り回していたとか。
父は他界し、母は85才になりました。
こういう話は子ども達に伝えたい、と思います。
おしゃれな猫
2011/08/16 16:46
NAGAさん

現在70歳代後半の人は、皆さん、戦争を覚えているでしょう。ついでに戦後の耐乏生活も経験済みです。こういう人達は、きっと全員が「戦争反対」派です。戦争なんて、もう懲り懲り。防空壕も知っていますし、中で爆弾や焼夷弾が落ちる音も聞いています。至近弾だと、豪内の土がバラバラと落ちてきました。中には水が溜っていて、冬など氷を割って入りましたね。

戦後生まれの「戦争を知らない子供たち」が大人になり、調子よく、好戦的な言動をすると、それなら好きに戦争したら、と言う気になります。但し、政治家が典型ですが、そう言う奴に限って、いざと言うときには逃げ出すに決まっています。馬鹿を見るのは、庶民です。もう騙されまい。
shuttle
2011/08/16 18:11
今考えると、防空壕に入れて助かったモノも、掘り返さずにあきらめていたのでした。
人間は別のところに逃げていました。入っていれば蒸し焼きだったでしょう。
あわぞう
2011/08/17 09:48
おしゃれな猫さん、ようこそ!毎日暑いですね。
おとうさま満州でしたか、さぞや大変だったことでしょう。人間というのは生きるか死ぬかの瀬戸際に立つと鬼にも悪魔にもなれるのかもしれません。幼い子どもが手にする僅かな食料を奪い取ったり、引き揚げ船から突き落としたり。それは戦争という極限状態が原因だといえるのですが、今現在の世相を思いますと、見えない戦争下にいるのではないかという思いに襲われるのです。
NAGA
2011/08/17 13:49
shuttleさん。国民にも責任があったという意見もありますが、真実を知らせない翼賛下では流れを止めるのは無理というものです。原発だって同じです。反対意見を封じ込め、「神話」で誘導したのですから。
NAGA
2011/08/17 13:57
あわぞうさん。艦砲射撃で駅前の防空壕にいた多くの人が生き埋めになりました。翌朝、壕の入口に白い旗が立てられて、強風に煽られていたのを憶えています。
NAGA
2011/08/17 14:14
8月15日、当時小学6年生人口僅か9000人の小さな町に何回も爆弾が落ちてきました。防空壕は安全と信じていました。
至近弾で亡くなった人も居ます。横穴式の防空壕は安全と信じ至近に落ちだ爆弾の爆風
で亡くなった人も居ました。
14日の日は米軍艦載機の無差別銃撃もありました。
戦争が終ってもサイレンの音がトラウマになり、火事で鳴るサイレンにびくりと恐怖の
反応が10年以上続きました。
15日はがーがーピーピーのラジオで言っていることは全く分かりませnでした。
大人は泣いていました。私はサイレンが鳴らないのを喜んでいました。
それから2月くらいして寝込んでしまいました。
微熱が続きました。原因は栄失調です。何でも食べろと医師に言われました。
その時食べた鯖の味噌煮、世の中にこんな美味いものがあったのかと思いました。
66年が過ぎます。今でも鯖は味噌煮と思い込んでいます。
sdaru
2011/08/18 11:03
sdaruさん。昨日ローカルテレビで下田のお祭り風景を写していました。もしかしていつも見ている町並みが見えるかと目を凝らしましたが、叶いませんでした。でもデジブックはじっくり拝見しました!なかなか華やかなお祭りですね。
鯖の味噌煮、緊急時でなくとも美味しいですよね。私は生母を早く亡くして、山羊の乳で育ちました。山羊の腹の下に入って「うめぇ〜」といったかどうかは記憶にございません。
NAGA
2011/08/18 13:26

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