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<<   作成日時 : 2009/04/10 14:00   >>

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50年前の日本は貧困にあえいでいました。この時代、工事現場で働く日雇い労働者
は「ニコヨン」あるいは「土方(どかた)」と呼ばれていたんですね。「土方」は職業を蔑視
する好ましくない言葉として、排除されていくのですが。

「よいとまけの歌」は「かあちゃんのためならえんやこぉら〜」と日本中で歌われたのにも
拘らず、ラジオでもテレビでもあまり放送されませんでした。「土方」という言葉が出てくる
ので、自称文化人から嫌われたのでしょうか。

「ニコヨン」とは一日の給料、つまり日当が百円札二枚と十円札四枚、240円を意味して
いました。月に25日働いたとしても月収6,000円です。もちろん物価は今とは比べられな
いほど安かった、でなければ生きてはいけませんものね。

新卒の初任給が5000円足らず、見習い期間は日給180円!(日給ですよ、時給では
ありません)中堅のサラリーマンで2、3万というところでしょう。私の記憶ではたまにしか
食べられない刺身が70円だったと思います。それでも仕事があればありがたかったの
です。献血ではなくて自分の血液を売って生きる人もいたのです。

革命を志して地下に潜り、そのような生活を続ける話を聞いたことがありますが、筋金入り
の闘士でしょうね。庶民の暮らしは後世を憂うほど甘くはなかったと思いますから。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
NAGAさん

「ニコヨン」「土方」「よいとまけ」全部分かります。懐かしい響きさえ感じます。私の初任給は9800円。当時、それくらいあれば、「食えるじゃないか」と言う歌もありましたね。家内が何時もそのことを言います。そうは言っても「食えなかった」と言うのです。家内の実家へ毎度のように借金に走ったそうです。お酒も煙草も嗜まず、賭け事、女遊びなど道楽も一切しない「堅物」でしたが、生活は苦しかったです。しかし、生活の苦しさが、逆に道楽に走らせなかったのかもしれません。お蔭で、平和な家庭生活が送れました。有名人の家庭が、有り余るお金にスポイルされて崩壊していくのを見ると、そう思います。
shuttle
2009/04/11 08:24
shuttleさん。毎日の食事代を捻出するのが精一杯でした
から、突然の出費があるとたちまち困りました。子育ての
時代は何が起こるか予想はできませんから、薄氷を踏んで
いるような毎日でしたね。
NAGA
2009/04/12 14:04

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